Blossom like a flower!

OSHO禅タロットで映す自分の姿の記録

【OSHO禅タロット・今日の一枚】Morality(道徳)

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雲のQ:道徳

 

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道徳が、生のすべての潤いとエネルギーをこの女性の心の狭い範囲に押しとどめています。それは流れることができないので、彼女はまさに「ひからびた古いプルーン」になってしまっています。

 彼女のマナーはすべてこの上なく礼儀正しく、堅苦しく、厳格です。あらゆる状況を首に掛けている宝石のような、黒か白かにはっきり見わけようとしがちです。

 「雲のクイーン」は、善と悪、罪と徳、容認できることと容認できないこと、道徳と不道徳という固定観念で育てられた私たちみんなの心に潜んでいます。心が下すこうした判断はすべて、私たちが受けた条件づけによって生み出されているのを思い出すことが大切です。

 そして、私たちのその判断によって——判断を下した相手が、自分たちか、あるいはほかの人たちかどうかを問わず——私たちは内側にある美と神々しさを体験できなくなっているのです。

 条件づけという檻を突破し、私たち自身のハートの真実に行き着いて初めて、生をあるがままに見ることができるようになります。Copyright © 2012 Osho International Foundation

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あ、またまたお目にかかれました(´д`;)

 

今日はちょっと朝からもにゃっとすることがあったんですが、その「もにゃっと」を瞬時に察知したのか、雲の女王様がすっとんで参りましたww

その「もにゃっと」中身というのは、「あのときああいう判断をしたけど、これでよかったのかな・・・!」という完全に私の頭の中で繰り広げられている妄想の戦いだった、というのは今になったらわかるんですけど。
昨日「今ここ」に集中しようねーって言われたのに、さっそく過去を振り返ってあーだこーだ考えていたよ私・・・!

 

msms-englishtarot.hatenablog.com

 

まっ、そう考えちゃうのも人間の普通の心理だから仕方ないよねー(・∀・)

 

って考えるのがこういう時は有効らしい。

そうそう、「仕方ないよねー(・∀・)」の真髄は結局、許し、認めること。

それがうまく出来なかった雲の女王様は自分をがんじがらめに縛ってしまいました。というのがこのカードの絵の表すところ。
カードタイトル「道徳」という名の通り、彼女はルールや秩序をとても重んじるのです。
別にそれはそれでいいところもあるんだけど、あまりに度が過ぎるとこんな風に自分を暗く狭いところに押し込めちゃう。

 

私のあの振る舞いは正しかったか、間違っていたか。

私に怒ったこの出来事はいいことか、悪いことか。

私のあの決断はアウトか、セーフか。

 

こんな風に0か100か、二者択一の世界でしか物事を考えられなくなる。
で、こういう考えをしがちな人は往々にして完璧主義者であって、「間違っていた」「悪かった」という面に注目しやすい。
完璧主義者は基本的に減点主義だからね(`・ω・´)

90の得点よりも10の失点がいつまでも気になってしまうのサ・・・悲

 

自分もかなりその傾向が強くて、これでもだいぶ丸くなったのになーと思っていたんですが、まだまだ

 

「正しい=良い」「間違い=悪い」
「成功=良い」 「失敗=悪い」

 

の等式を頑なに握りしめているんだなーと感じました。

で、そこに気付いたから今度からはそう思わないようにしよう!と決意しても、しばらくするとまた思考の癖がもとに戻っていて、「また完璧主義になっちゃった・・・orz」とへこむ。以下無限ループ笑

 

・・・こうやって書いていても、「完璧主義=悪い」という図式を完全に自動的に作り出している自分!!

自動思考っておそろしー(´・ω・`)

 

で、ここでグイッとストッパーをさしこんでくれる考え方が、先ほど書いた

「仕方ないよねー(・∀・)」

の許しと認めの価値観。

 

そういう風に考えちゃうけど、それはそれで仕方ないよねー(・∀・) ←自分への許し
そんな自分も自分なんだもん(・∀・) ←自分を認める

 

これがちょっとずつ自動思考の偏りを戻していくコツなんだとか。
一進一退、行ったり来たりしておりますが、何にせよ焦らないことが大切。自分に言い聞かせます(´ω`)