【OSHO禅タロット・今日の一枚】Sharing(分かち合い)
火のQ:分かち合い
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「火のクイーン」は豊かさに満ちあふれ、まさにクイーンそのものです。だからこそ、与えることができるのです。懐ぐあいを調べたり、後のことを考えてなにかを取っておくことなど思いもよりません。
彼女は自分のまわりにある豊かさ、豊潤さ、そして光に与(あずか)れるように誰彼となく歓迎し、自分の宝を際限なく分け与えます。
このカードを引いたときは、あなたもまた同じ状況―自分の愛、喜び、そして笑いを分かち合うことができる状況にあることを暗示されています。そして、分かち合うことで、自分がさらに満たされていく感じがわかるのです。
どこかに行ったり、特別な努力をする必要はありません。自分のものにしたいとか、執着したりすることもなく自分の官能を楽しむことができるということ、創造性に満ちたその同じ感覚で子どもを産むことも、新しいプロジェクトを発足させたりすることもできるということがわかるのです。
今、あなたのまわりのあらゆるものが「いっぺんにやって来る」ように思えるでしょう。それを楽しみ、そこにしっかりと足を下ろし、あなたのなかに、そしてあなたのまわりにある豊かさをあふれ出させましょう。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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雲の女王様の次は火の女王様がお見えに!(・∀・*)
前の記事の「道徳」とは対照的な絵になってますね。
色彩鮮やか、光に満ちて、暖かいエネルギーを感じられます。
人はなにかを分かち合うことによって豊かな気持ちを得ることが出来る、という象徴です。
でもよく考えてみると、たしかに「分かち合う」という行為には、相手が喜んでくれたり、自分も楽しい時間を過ごすことが出来たり、というメリットがありますが、
同時に「自分の取り分を減らす」ことがつきもの(・ω・)
その得を手に入れるためには、先に自分の利益を減らす=損をするということが避けられないのです。
で、この「損をする」のがイヤだなぁと思っている人ほど、「損をしないような思考」が働きます。
分かち合いによって得られる「得」と「損」を自動的に天秤にかけてしまいます。
まぁこういう人でも、自分に余裕があるときだったら割と抵抗なく自分のものを手放せるんですよ。
ボーナスが入ったから皆にご馳走するよーだとか、お菓子たくさんもらったからちょっとおすそ分けするね、とか。
それはそもそも先に手に入った利益が大きいので、「ある程度なら分け与えても自分の損失はならないから」という思考が自動的に働いてる。
でもその分かち合いはあくまで「自分に余裕があれば」という条件付き。懐が寂しいときにはこんな振る舞いは出来なくなる。
「たくさんあるときだったらいいけど、これ以上あげちゃったら自分の分がなくなるからセーブしとこっ」
って思っちゃうんですよね・・・(´д`)あぁ書いてて自分で悲しくなってきました泣
で、ここまで書いたのは「減っちゃう」「なくなっちゃう」という所にフォーカスしている考え方です。
自分はこれだけしか持ってないから、人にあげたらなくなってしまう、という恐れが根底にあります。
おそらく火のクイーンの考え方は全くの真逆。
自分の持っている豊かさ、パワーを隠すことなく、惜しみなく周囲に分け与える。
何故そんなことが出来るのかというと、この人にはそもそも「あげたら減ってしまう、なくなってしまう」という発想がないから。
自分の豊かさやパワーは自分の中から(←これ重要)際限なくあふれ出てくるものだから、どんどん人に分け与えていったとしても決してなくなりはしない、ということを心の深いところで知っているから。
そしてもう一つ重要なのが「ひらいている」ということ。このカードの絵を見た私の印象でもあるのですが(´ω`)
「誰にでも」「際限なく」与えるということは、そこに「条件がない」ということ。
この人は、周りのすべての人・物に対してオープンなのです。
あの人は好きだからあげる、あの人は嫌いだからあげない、とか、そんなことも考えない。
目の前の全てを受け入れてくれる。そんな安心感があるから、彼女の微笑みに暖かさを感じるのかもしれません。
うーん、書けば書くほど人間離れした悟りを開いておられる・・・しゅごい(・ω・)
いやもともと人間じゃないんですけどね。
こんな豊かな心をもって日々過ごしたら、きっと見える世界があったかくなるんだろうなー
普通の人間である私はここまで聖人めいたメンタルにはきっとなれないのでwwエッセンスだけ拝借して今日も生きていきます(´ω`)
【OSHO禅タロット・今日の一枚】Morality(道徳)
雲のQ:道徳
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道徳が、生のすべての潤いとエネルギーをこの女性の心の狭い範囲に押しとどめています。それは流れることができないので、彼女はまさに「ひからびた古いプルーン」になってしまっています。
彼女のマナーはすべてこの上なく礼儀正しく、堅苦しく、厳格です。あらゆる状況を首に掛けている宝石のような、黒か白かにはっきり見わけようとしがちです。
「雲のクイーン」は、善と悪、罪と徳、容認できることと容認できないこと、道徳と不道徳という固定観念で育てられた私たちみんなの心に潜んでいます。心が下すこうした判断はすべて、私たちが受けた条件づけによって生み出されているのを思い出すことが大切です。
そして、私たちのその判断によって——判断を下した相手が、自分たちか、あるいはほかの人たちかどうかを問わず——私たちは内側にある美と神々しさを体験できなくなっているのです。
条件づけという檻を突破し、私たち自身のハートの真実に行き着いて初めて、生をあるがままに見ることができるようになります。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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あ、またまたお目にかかれました(´д`;)
今日はちょっと朝からもにゃっとすることがあったんですが、その「もにゃっと」を瞬時に察知したのか、雲の女王様がすっとんで参りましたww
その「もにゃっと」中身というのは、「あのときああいう判断をしたけど、これでよかったのかな・・・!」という完全に私の頭の中で繰り広げられている妄想の戦いだった、というのは今になったらわかるんですけど。
昨日「今ここ」に集中しようねーって言われたのに、さっそく過去を振り返ってあーだこーだ考えていたよ私・・・!
msms-englishtarot.hatenablog.com
まっ、そう考えちゃうのも人間の普通の心理だから仕方ないよねー(・∀・)
って考えるのがこういう時は有効らしい。
そうそう、「仕方ないよねー(・∀・)」の真髄は結局、許し、認めること。
それがうまく出来なかった雲の女王様は自分をがんじがらめに縛ってしまいました。というのがこのカードの絵の表すところ。
カードタイトル「道徳」という名の通り、彼女はルールや秩序をとても重んじるのです。
別にそれはそれでいいところもあるんだけど、あまりに度が過ぎるとこんな風に自分を暗く狭いところに押し込めちゃう。
私のあの振る舞いは正しかったか、間違っていたか。
私に怒ったこの出来事はいいことか、悪いことか。
私のあの決断はアウトか、セーフか。
こんな風に0か100か、二者択一の世界でしか物事を考えられなくなる。
で、こういう考えをしがちな人は往々にして完璧主義者であって、「間違っていた」「悪かった」という面に注目しやすい。
完璧主義者は基本的に減点主義だからね(`・ω・´)
90の得点よりも10の失点がいつまでも気になってしまうのサ・・・悲
自分もかなりその傾向が強くて、これでもだいぶ丸くなったのになーと思っていたんですが、まだまだ
「正しい=良い」「間違い=悪い」
「成功=良い」 「失敗=悪い」
の等式を頑なに握りしめているんだなーと感じました。
で、そこに気付いたから今度からはそう思わないようにしよう!と決意しても、しばらくするとまた思考の癖がもとに戻っていて、「また完璧主義になっちゃった・・・orz」とへこむ。以下無限ループ笑
・・・こうやって書いていても、「完璧主義=悪い」という図式を完全に自動的に作り出している自分!!
自動思考っておそろしー(´・ω・`)
で、ここでグイッとストッパーをさしこんでくれる考え方が、先ほど書いた
「仕方ないよねー(・∀・)」
の許しと認めの価値観。
そういう風に考えちゃうけど、それはそれで仕方ないよねー(・∀・) ←自分への許し
そんな自分も自分なんだもん(・∀・) ←自分を認める
これがちょっとずつ自動思考の偏りを戻していくコツなんだとか。
一進一退、行ったり来たりしておりますが、何にせよ焦らないことが大切。自分に言い聞かせます(´ω`)
【OSHO禅タロット・今日の一枚】Moment to moment(瞬間から瞬間へ)
虹の2:瞬間から瞬間へ
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過去はもうないし、未来はまだない。このふたつは両方とも、その必要もないのに、存在しない方角に動いている。ひとつは、かつては存在していたがもはや存在せず、もうひとつは、存在しはじめてすらいない。
唯一正しい人とは、瞬間から瞬間へと生きる人、その矢が瞬間に向けられている人、つねに今とここに在る人のことだ。どこにいようとも、その人の全意識、全存在は、ここの現実(リアリティ) と今の現実(リアリティ) にかかわっている。それこそ、唯一正しい方角だ。そういう人しか黄金の門には入れない。現在が、その黄金の門だ。<今ここ>が、黄金の門だ。
……そして、あなたが現在に在ることができるのは、野心がないときだけだ——成し遂げるということがなく、権力、金、名声、光明さえも達成したいという欲望がないときだけだ。というのも、野心はすべて、あなたを未来へと導いていくからだ。野心のない人でなければ、現在にとどまることはできない。現在に在ろうと望む人は、考えなくてもいい。ただ見て、門を入ればいいだけだ。体験はやって来る、が、体験は前もって計画したものであってはならない。Osho The Great Zen Master Ta Hui Chapter 37
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結局3月に書いた記事は1つだけでしたね!!!(゜∀゜)
またまたお久しぶりな更新です笑
3月末の忙しい時期を終え、4月の頭数日使ってちょっぴりリフレッシュをしました。
といっても特に何もせず、のーんびりしてただけなんですけど。
4月1日なんか、年度初日だ頑張るぞーなお勤めの方々やらピカピカの新社会人さんたち頑張ってーなんていう世間様を横目に、ご飯を食べてお風呂に行く以外は一日ベッドから動かないという一日を過ごしてやりましたはっはっは(゜∀゜)
フリーランスの特権。いろんな人から殴られそうですねっ
でもここしばらく「2日連続休みを取る」ということをやっていなかったので、勇気を出してだらっとしてみたんです。今思うと「働かなきゃ稼げない・・・」という亡霊にとらわれていた感。いや実際そうなんですけど。でも無理して体に鞭打ってでも働かなきゃいけないのか、というとそれは違うなと。
やっぱり心も体も「快」の状態であるかどうか、常に自分に気を配ってメンテナンスをしてあげないとアウトプットもいいものが出ないのですね。
余裕がなくなるとついつい忘れがちになることですけど、大事なことだなぁと。
偉大なる我が相方様のお言葉↓↓
「 休むのも仕事のうちだからねっ(`・ω・´) 」
うーんさすが・・・頭が上がらないのは相変わらずです。
で、心も体もちょっと充電したところ、ブログ書くかーという気分になったので!久しぶりに一枚引いてみました。
"Moment to Moment" 「今ここ」に集中しろ、というカードです。
このおっちゃん軽やかだなー。そう、足場は狭いし、つま先(いまここ、のたとえ)に集中してるんだけど、深刻さは全くない。
過去にとらわれたり、未来を恐れたりすることなく、現在に焦点を合わせること。
過剰に怖がっても、動くエネルギーをそがれるだけ。
働くときは働く!休む時は休む!
これもメリハリをつけた「今ここ」の考え方に通じるものがあります。
久しぶりに引いても、やっぱり今の自分に刺さるメッセージをくれるカードさんしゅごい(・ω・)
ところで、ほぼまるまる1か月更新してなかったにもかからわらず、毎日60アクセスくらいあったのに驚き・・・ありがとうございますm(_ _)m
これ、頑張って毎日更新してた時よりかなり増えてるんですが・・・これって、・・・これって・・・ガクガク
放置しといた方が伸びるってことなの?(爆)
なんと、、、
しばらく寝かせたほうがおいしい・・・なんだかカレーみたいだ(´ω`)
【OSHO禅タロット・今日の一枚】The source(源)
「足が地についている」とか「中心が定まっている」と私たちが言うのは、この「源」のことです。創造的なプロジェクトを始めるとき、私たちはこの「源」に波長を合わせます。このカードは、私たちにはエネルギーの巨大な貯蔵庫が用意されていることを思い出させてくれます。
そして、その貯蔵庫に入ってエネルギーをくみ取るためには、考えて計画を立てるのではなく、地に足をつけ、中心に定まり、「源」との接触がもてるほど沈黙しなければならないということも……。それは、生命と滋養を与えてくれる自分の、個人それぞれの太陽のように、私たちひとりひとりの内側にあります。
【OSHO禅タロット・今日の一枚】Understanding(理解)
水のペイジ:理解
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このカードに描かれている鳥は、
鳥かごのようなもののなかから外を見ています。
しかし、それには扉もついていませんし、
事実、柵も消えかけています。柵は幻想だったのです。
ほかの鳥たちの優美さと自由、励ましによって、
この小さな鳥は出てくるように呼びかけられています。
翼を開き始め、まさに初めて飛び立とうとしています。
鳥かごはこれまでずっと開かれたまま、
空は私たちの探険を待ち受けていつもそこにあったのだという、
新しい理解の曙
それは、初めのうちは私たちをちょっと
震えさせることもあるでしょう。
それでいいのです。震えてしまうのは自然なことです。
しかし、その震えのすぐそばに差し出されている
軽やかさと冒険を体験する機会を
曇らせてしまわないようにしましょう。
この時期の甘美さと優しさと共に進みましょう。
内側の羽ばたきを感じてください。
自らの翼を広げ、自由になりましょう。
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自分にブレーキをかけているのは自分だけ。
檻があると思っていたけど、実際にはなかった。
ダメだと思っていたけど、そう思っているのは自分だけだった。
ある、と思っていたけど、なかった。
ない、と思っていたけど、あった。
そう「理解」できると、新たな世界が見えてくるのかも(´ω`)
何かチャレンジをするときに、ちょっと臆病になってしまうのは当然のこと。
でのそのちょっとの怖さを理由に、やりたいことへ踏み込めなかったりするのはとてももったいない。
自由に、やりたいことをやっていいんだって後押ししてくれる一枚♪
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またまた更新サボってしまったww
やっぱりパソコンの前に座った方が文章書くのははかどります(´д`)
ここからは昨日のお話し。
昨日一番に引いたカードはこれでした。
Inner voice:内なる声
でたー摩訶不思議カード!!!なんのこっちゃわからんやつ!!!←
そう、こいつの解釈いまだにわからん←
けど実は昨日はお初の方とお話しする予定があったもので、
「まぁとりあえず、自分の心の声に正直に。変にこねくり回したり考えたりせず、情熱をありのままに表現すればいいよ!」
っと解釈してみました。
そんで実際に面会。ぱっとお会いした印象は気さくな感じで、気持ちリラックスして話せました。
すると想定外にすんなりと、あれよあれよと話が進み、なんだか面白いお話をいただくことに。なんか知らんけどワクワクする・・・!
っとここでふと気になってカードをひいてみることに。
(私は占い師でもなんでもないので、ここでいう「カードを引く」は実際にカードを手に持っているのではなく、スマホのブラウザの更新ボタンポチーなのですwwだから外出先でもなんのそのww)
この出会いは私に何をもたらしてくれますか?
カードの答えはコレ。
Clinging to the past:過去への執着
んん??今の気持ち的にはすごくプラスなのにな・・・
私が何に執着してるってんだい。よくわからん!
というわけでもう一枚引く。
Letting go:手放し
・・・あまり難しく考えずに、流れに乗っておけってこと?なるように任せてていいんだね?
すると次のカードは。
「そうそう、ちょっとカードの読み方わかってきたやん(-∀-)」by マスター
って言われた気がしてちょっぴり嬉しくなりました、ってお話し(´∀`)♪
後から思うと、最初の「過去への執着」のカードは、
「面白い話いただいたけど、色々作業とか大変になるんちゃうかな??今の仕事とか圧迫せんかな??時間ちゃんと取れるかな??」
って色々考えが巡っていること自体、現状維持にしがみつこうとしてるよーって教えてくれてたのかなって思います。
再度、私は占い師でも何でもないのですが、こんな感じで自分の独り言にちゃんとカードが対応してくれると楽しいし嬉しい(´д`*)笑
だからこんなブログ書くまでにはまっちゃったのです。禅タロット。笑
そういえば、ここに出てるのほとんど水のカード。
水スートは「感情」を司る。自分の気持ちを大事に受け止め、でもそれに振り回されるのではなく受け流す。
流れに身を任せつつ、やりたいことに飛び込んでみます(`・ω・´)
【OSHO禅タロット・今日の一枚】Going with the flow(流れと共に行く)
水のエース:流れと共に行く
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「水になりなさい」と私が言うとき、私は流れになることを意味している。澱んだままではいけない。動くがいい、しかも、水のように動くがいい。
老子は言っている——タオの道は水の流れる道だ。それは水のように動く。水の、あるいは川の動きとはなんだろう? その動きには素晴らしいところがいくつかある。ひとつに、それはつねに深みに向かって動く、もっとも低い地をつねに探し求める。それには野心がない。最初の者になろうと渇望することはけっしてない。最後の者になりたいのだ。
覚えておくがいい。イエスはこう言っている——ここで最後の者こそ、私の神の王国では最初の者となるだろう。彼は、タオの水の流れる道について語っている——言及してはいないが、それについて語っているのだ。最後の者であるがいい、野心なくあるがいい。野心とは、上に向かって行くという意味だ。水は下に行く。
もっとも低い地を探す。それは何者でもないことを望む。自分はユニークだ、例外だ、特別だと宣言することは望まない。エゴの観念はない。Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 14
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流れに身を任せる。受け身になる。
ただ一つ注意なのが、何も考えずに流されていたら岩に頭ぶつけますよってこと(´д`)笑
人生は選択の連続。目の前に現れたものを順々受け止めてこなしていくなかで、大なり小なり分岐点があると思います。
それぞれの分岐点で自分にとって最適解を「自然に」選び取れるように、リラックスしておくこと。変に力んだり抵抗したりしているとうまく舵がとれませんからねー
っていうのがまず一つ目の解釈なんですが、もう一個考えたことが。
解説のお話しの最後の段落、
「もっとも低い地を探す。それは何者でもないことを望む。自分はユニークだ、例外だ、特別だと宣言することは望まない。」
このフレーズにハッとさせられます(´д`)
この文の真意は、
「自分はただ自分でいい、特別な何者かになろうとしなくていい」
ということなんじゃないかと。
「こうなりたい!」っていうビジョンはすごく素敵だし大事だと思うんですが、一方で「こうじゃないと嫌だ!何か秀でた存在に、特別な存在になりたい!」と思ってしまうと、理想の自分と現在の自分のはざまで苦しむことになります。(もちろんなれたらそれで万々歳なんですけどね!笑)
ここで苦しんでいるとは、すなわち「そのままの自分ではダメだから、自分ではない何かになろうとしている」という自己否定感が心の底で暴れているということ。
これは、
あるがままの自分を否定している = 流れに逆らっている
とも言い換えることができますので・・・こうなるとしんどい(´д`)ハァ
ということは、この逆を突くと、
特別な何者かになろうとしない = 自分は自分だと肯定する = あるがままに身を任せる
という式が完成しないだろうか・・・
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実は昨日相方様と飲みに行ってたんですが、気分が良くなっていつもより饒舌になってべらべら喋り倒してしまいまして笑
全部はもちろんかけないので一つだけ要旨をいうと、
「ジェネラリストで何が悪い!」というのをひたすら管巻いてたそうなww
わたくし、現代の「スペシャリスト万歳」的な世間の風潮があんまり好きじゃなくて。
何か一つ、これだけは私が一番だ!という分野を見つけて極めましょう、そのスペシャリストが集まれば無敵集団だ!みたいなね。
もちろん一理ある考え方なんだけど、昔会社の研修で講師の人が熱くこれを語ってた時にすごーく自分が否定されてるような気がしてしまって。
なぜなら、私は何でもそこそこ出来るんだけど、逆に「これだけは誰にも負けない!」ってのがあんまりないから。
これは得意かな?って思うことでも、その分野で一点突出型の人にはかなわないんです。
いくら自分が練習を積んだ演奏でも、インスピレーションだけで一発即興演奏出来るような天才肌にはかなわないんです。
いくら頑張っても、「得意なものがある人」にはかなわない。
それがずっとコンプレックスだったから、ずっとあがいてもがいてしてたんですけど。
「なんでもそつなくこなせるジェネラリストタイプで何が悪いねん!!!全員が好き勝手に自分のやりたい放題やってたらまとまるもんもまとまらんわ!!!ジェネラリストも必要なんじゃあ!!!(゜血゜)」
って開きなおる笑
でもそうすると、「スペシャリストじゃないとダメ」から「ジェネラリストでもいい」に思考が変わって、自分を受け入れることが出来たんですよね。
これもすなわち「自分を肯定すること」につながるんじゃないかなぁと。
なんか思ったより長くなりそうだったので無理矢理まとめにかかってます(汗
ようするに、あんたはあんたのままでいいよヽ(´・∀・`)ノってことだったでしょうね。
昨日の会話、カードに聞こえてたのかしら・・・笑
【OSHO禅タロット・今日の一枚】Abundance(あふれ出る豊かさ)
虹のキング:あふれ出る豊かさ
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このディオニュソス風の気ままな人物は、酒を飲み、海辺で踊り、雨に打たれながら歌うことができると同時に、聖者の理解と智慧の深みをも楽しむことのできる全体的な人間、「ゾルバ・ザ・ブッダ」を描いたものです。
片手に蓮の花(ロータス) をもち、女性的なものの優美さを自らの内に包含し、それに敬意を抱いていることを示しています。はだけた胸(開かれたハート)とリラックスした腹は、自らの男らしさとも気楽にくつろぎ、ひとりで完全に満ち足りていることを示しています。
地、火、水、空の四つの要素すべてが、生の智慧の書の上に坐っている「虹のキング」において結ばれています。もしあなたが女性であれば、「虹のキング」はあなたの生に、あなた自身の男性エネルギーの支えを、内なる魂の伴侶(ソウルメイト)との合一をもたらします。
男性に対しては、今こそ従来の男性の典型を突き破り、全体的な人間の豊かさを輝き出させる時だということを表わしています。Copyright © 2012 Osho International Foundation
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虹の王様!(゜д゜ノ )ノ
お腹があふれ出ていますね・・・(失礼
でもたとえば七福神の布袋さんやらえべっさんもお腹あふれてますよね笑
お腹があふれる→豊かさの象徴??(゜∀゜)笑
まぁ豊かじゃないとお腹あふれるくらいもの食べられないしね。
いつもカードを引くときは「今日の一枚は?」という漠然とした感じでひいてたんですが、今日はなんとなく「今日の行動指針となるカードは?」というちょっと具体的な文をつぶやいてから引いてみました。
そしたら王様の登場!(゜д゜ノ )ノ
気ままで、酒好きな、ゆるっとした王様。
でも「生の智慧の書」の上に座っているこの人物は叡智が何たるかも知っている。
さらに男でありながら、「手に持った蓮の花」は女性への敬意も示しているそう。
そういった一見相反するものを統合し、常に「全体」を支配している。
そんなお方でございます。
遊びと学び。片方だけではなく、どっちも大事。
光と闇、得と損、男と女、表と裏、晴れと雨・・・
反対のもの同士に見えても、それらはワンセット。どちらかが欠ければ成立しない。
闇がくらいから光をありがたく感じるし、損をするから「得した!ラッキー!」という感情も存在出来る。
こうでなきゃだめ!いいことしか受け取らない!ちゃんとしなくちゃ!と
一方を受け取らずにいると、いつまでも何も手に入れられないのかもしれません。
私は典型的な「ちゃんとしなきゃ!」病にかかった「するべき」教の信者だったので(´д`)
(というか今でもかなーり残ってる)
いまだにちゃんとできない自分にカリカリして、はっと気づいてあぁ・・・(´д`)
の繰り返しです。実はここ3日くらいそんな感じでした(そして自分責めにエネルギーを割きすぎてブログほったらかしにww)
もうちょっとゆるめて、バランスよくね・・・(´ω`)フォフォフォ
王様にはお見通しだったようです、ははーっorz
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余談ですが、「行動指針は?」と聞いてクイーンではなくキングが出るのが私らしいなぁと笑ってしまいましたww
人からの評価は主に「サバサバ・自立・カッコイイ・理屈っぽい・男性的etc.」がキーワードなもので・・・
こないだなんか「ピアノ弾いてらっしゃるのになんだか理系の人みたいな、あんまり可愛らしくないしっかりした考え方を持ってるん方なんだなーと思いました」
なーんて言われました。これ褒められてる・・・んだよね?!?!?!
(一般的な「ピアニスト」っていう女性的でホワホワ可愛らしい、お姫様みたいな感じではないってことだったんでしょうが)苦笑。
まぁ変に女性的に見られたいとも思ってませんからむしろ嬉しかったですけど(´∀`)
私は私!それでいいのだ(´∀`)